年齢を重ねるたびに、しわが目立つように感じてしまいます。とくにほうれい線のしわは気になります。化粧水、保湿クリーム、パックなど、念入りにスキンケアをして、なんとかこれ以上しわが増えないようにしております。ほかにも、顔の筋肉を鍛える運動をすることありますが、顔の筋肉を鍛える運動は、おかしな表情となってしまうため、誰かに見られてしまうと恥ずかしく感じるときもあります。
若年失業者問題に絡んで、「企業は高給の中高年を解雇できないから、新卒採用を抑えて総人件費を下げ、足りない労働力を非正規雇用でまかなっている。従って、若者の正社員採用を増やすには、中高年をリストラしやすくする必要がある」という意見があります。これを“意見A”としましょう。
それに対して「中高年は家族を養っている。彼らがリストラされたら、その子どもである若者が大学に行けなくなる」「解雇を容易にすると一時的には若者の雇用が増えるかもしれないが、若者がいずれ中高年になった時に雇用の安定性を失う」と反対する“意見B”もあります。
この2つの意見の違いを整理してみましょう。
相違点1:労働分配率を変えるべき?
Aは「労働者全体に配分される資金は一定」という前提のもとで、「労働者内での資金の分配方法」を問うています。一方、Bは「資本家のお金を、より多く労働者側に配分するべき」という意見です。つまり、AとBには労働分配率に関する意見の相違があります。
相違点2:給与を何の対価と考えるのか?
Aは「仕事の成果と報酬の関係」を重視しており、若者の失業問題とは別に「中高年の得ている対価が不当に高い」という問題を指摘しています。
しかし、Bでは「問題は若年者に仕事がないこと」のみであり、中高年の給与が成果以上であることは、何ら問題ではないと認識されています。Bにとって、給与とは仕事の対価ではなく「生活の必要資金を社会機関が個人に分配する仕組み」なので、子どもの教育費やローンを払う必要がある中高年の給与は現在の額で妥当、もしくはまだ不足しているとなります。
労組は賃上げを求める理由としてよく、「過去1年で物価が●%上昇した」と言います。この言葉が、彼らが給与を何だと考えているか明確に示しています。
Aから見れば、仕事の成果の集大成である企業業績が落ちれば、賃下げもありえます。しかし、Bから見れば、企業業績が下がっても物価が上がったなら、賃上げを要求するのが当然です。給与を何と考えるか、この点もまったく違うのです。
相違点3:スキルアップは誰のため?
Aは若者に仕事がないことを、給与問題というより「人材育成」「将来の競争力」の面から憂慮しています。「仕事のスキルを身に付け、さまざまな経験を積む機会」が、今後20年でビジネス社会から引退する中高年に独占され、若者に与えられないことに危機感を持っているのです。
Aによると、給与は仕事の成果に基づく報酬ですから、スキルや経験を積まないと上昇しません。より高い報酬が必要な年代になるまでに、若者がスキルや経験を積むことが重要なのです。だからこの問題は社会福祉で解決できるものではないのです。失業保険や生活保護では生活費は得られても、スキルも経験も得られません。
一方、Bは「仕事のない若者は社会福祉で救われるべき」と主張します、自分たちの仕事の一部を若者に分けるワークシェアリングには反対です。この問題を解決する義務があるのは、同じ労働者である自分たちではなく、国であり資本家だと考えているからです。
「社会福祉ではスキルと経験が得られない」という点も問題視されません。「資本家たちがよりもうけるために、より仕事の早い労働者が必要だから、スキル向上などとあおっているだけ」と考えています。
また、経営者は常に、できる奴とできない奴の給与に差を付けて労働者の分断を図ろうとしているが、そういう「むやみに競争をあおり、労働者内に格差を作って仲違いさせる作戦」にはまってはいけないというのがBの意見です。だから、「労働者の権利である休日を利用して自己研鑽するなんて資本家の思うつぼだ」となります。
このようにAとBでは、「労働者のスキルアップは誰を潤すのか?」という点に関して意見の相違があります。
相違点4:財源問題は誰の責任なのか?
AはBに対して、「資本家側のお金を労働者側にこれ以上回すのは無理である。そんなことをしたら企業は世界との競争に勝てない」「高福祉社会を実現するためにも、経済成長が必要なのだ」と言います。
Bは「競争は際限のないものであり、それが理由で労働者にお金が回せないというのは詭弁だ」と考えているし、福祉財源に関しても「国民が財源をうんぬんする必要はない。財源とは優先順位の問題なので(=お金がないわけではないので)、国民側が高福祉実現のための方法論まで考える義務はない」と言います。
ここで明確になるのは、Aは「権力者側」に近い発想であり、Bは「権力者と対峙(たいじ)する立場に自分を置いている」ということです。「A=権力者である」ということとは違います。あくまで「視点をどこにおくか」という問題です。
例えば、一般家庭でも子どもは「あれ買って! これ買って! 学校でみんな持っている!」と言います。財源の話なんてしません。しかし、夫が「パソコン買い換えたい」と言う場合、妻に「そんなお金どこにある?」と言われれば、「分かった、タバコはやめる」くらいのことは言わざるを得ません。この場合、夫は権力者ではありませんが、「権力者側に近い発想」を求められる立場にあるため、「あれ欲しい。けど、財源は知らん」とは言えないのです。
政治の世界も同じですが、財源をまったく気にせず、福祉施策の充実だけを声高に叫ぶ人たちはみなBと同様、「財源問題は自分の責任範囲ではない」と考えているのです。
●若年者の失業問題が解決されない原因
まとめると、AとBの意見の対立点は下記となります。
意見A
・給与は仕事の成果の対価である。
・従って、誰であれ仕事の対価に見合わない給与をもらうのは不当だ
・労働者はスキルと経験を得ることで、仕事の対価である報酬を増やせる
・追加的な支出を求める場合、財源をセットで考えるのは“責任ある立場の者として”当然である
意見B
・給与は生活必要資金の個人への分配である。
・仕事の対価に見合っていなくても、その人の生活に必要な給与額を払うのは正当なことである(反対に、たとえ仕事の対価であっても、生活費を大きく超える報酬を得るのは不当である=いくら仕事ができても、生活費の安い若者が高給をもらうのは不当である)
・労働者がより高いスキルや経験を得ても、得をするのは資本家と経営者だけだ
・自分たちが要求することの財源を考える必要はない。それは経営者や権力者の仕事である
BはAを「いたずらに世代対立をあおり、労働者の分断を図る卑劣な意見」と非難し、AもBを「いまだにマルクスの亡霊に取りつかれている時代遅れの活動家」と見ています。この“労働者間の対立”こそが、いつまでたっても若年者の失業問題が解決されないことの根本的な原因でしょう。
そんじゃーね。
※本記事は、「Chikirinの日記」において、2008年12月11日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。
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